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人間にとって、その時々の精神状態を左右する大きな要素に、においがあります。
高原に旅した時など、窓を思いっきり開け放ち、朝露のにおいに満ちた、すがすがしい空気を胸いっぱいに吸った経験があることでしょう。誰しもが、心洗われる思いをいだき、生きている幸せを感じるひと時です。
でも、悪臭を放つゴミために囲まれて目覚めたのでは、さわやかというわけにはいきません。不愉快きわまりない一日のスタートをきることになり、一日中気分が晴れないに違いありません。
においはまた、脳裏に焼きついて、ずっと以前にかいだにおいを、何年も後に思いがけずかいだ時など、なつかしい昔のことを思い出させてくれて、心を豊かにしてくれたり、逆に、いやな記憶を思い出させたりもします。
手焼きのバン屋さんや、昔ながらのお茶屋さんの前を通った時など、かつて、路地にただよっていたパンを焼くほのかな甘い香りや、鼻をくすぐるようなほうじ茶のにおいに触れて、幼い頃をなつかしく思い出す人も多いことでしょう。少女の髪のにおいや、少年の汗のにおいで、初恋時代のことを思い出す人も少なくないはずです。
昔なつかしいにおいは、夢多かりし幼い時代の思い出を心のパノラマに映し出してくれます。いやな記憶も含めて、においは思い出のなかに生き続けているわけです。
よいにおいに囲まれて毎日が生活できたら、どんなにか素敵なことだろう――誰しもが思うところです。事実、古今東西を問わず、その夢を実現するための試みは、昔から行なわれてきました。
代表的な例としてあげられるのは、日本では“香”をたく習慣でありにおい袋を懐中にしのばせる習慣でした。西洋では香水を身にぷりかける習慣が発達していったのです。
日本では、仏教の伝来(五三八年)とともに、仏間に供香がたかれるようになり、紫式部などが活躍する平安時代になって、普通の部屋で香をたくようになり、さらに時代が進むと、香をたく部屋に衣装をかけておき、そのにおいを衣服にしみ込ませる移香が行なわれました。におい袋をもち歩き、香臭をただよわせるようになるのも、ほぼ同時代に発生しています。
当時は、日常的に入浴するという習慣はなく、その上、十二単などという非活動的な衣装に包まれていたため、不快な体臭に悩まされていだのでしょう。今に響く絶世の美女たちは、じつは、悪臭ただよう美女だったのです。
西洋においても、事情は同様です。 ローマ帝国が崩壊した後のヨーロッパは、キリスト教徒である十字軍が、イスラム教徒から聖地を奪回するだめに、血みどろの戦いを繰り広げ、俗に暗黒時代と呼ばれた時代でした。
ローマ帝国時代は、ローマ風呂の名で知られるように、一般庶民も含めて入浴する習慣があったのですが、ローマ帝国崩壊とともに風呂に入る習慣もすたれてしまい、それ以降は“浴槽なき千年”を迎えるわけです。
香水は、じつはこの時代に生まれ、普及していったものです。香水もまた、オシャレからではなく、切実な体臭隠しの必需品だったのです。
再び日本の話にもどりますが、古い茶室や神社仏閣などでは、単に香をたくことによってにおいをつけるだけではなく、悪臭をとるための努力もしています。今でも、冷蔵庫などのにおいをとるのに活性炭を利用しますが、古い建物の周囲には炭を敷きつめて、いやなにおいを追放しています。人間がにおいにいかに敏感に対応していたかがうかがえます。
長い歴史をもつ京都の一流旅館の名前に「炭屋、俵屋、柊屋」などがあります。炭やワラや柊の葉に、においをとる働きがあることを考え合わせると、悪臭から解き放されたい人間の本能的な性質がうかがえて面白いものです。
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